タヒチパールの歴史
タヒチパールはポリネシア神話の中に月の化身として登場するロマンチックな伝説からその歴史をスタートします。
タヒチの真珠が世界に知られる存在になったのは15世紀大航海時代にフランスのブーゲンビルやイギリスのクック船長らによって、南太平洋の島々が発見されてからになります。
当初は主にボタンの材料としての黒蝶貝の採取地となっていましたが、2万個に1個という割合で天然真珠も採れていました。
しかしそれは希少で高価な物で王侯貴族が独占し一般の目に触れることはありませんでした。
20世紀に入り洋服のボタンがプラスチックになると黒蝶貝の需要が急落し、他の事業を模索する必要がでてきました。
こうした情勢を背景に真珠の養殖試験が始まります。
しかし、キレイな真円真珠を作り出すまでには至りませんでした。
黒蝶真珠の真円真珠の養殖は日本の御木本真珠が石垣島で初めて成功させ、市場に出るようになりましたが、母貝の数に限界があるため世界の市場に多く出回るまで採ることができませんでした。
1961年日本の技術者がタヒチ ヒクエル島で真円真珠の養殖を成功させます。
これを機としてタヒチで本格的な黒蝶真珠の養殖が始まったのでした。
1980年代に稚貝の採苗技術が確立すると母貝の安定的な供給が可能になり、真珠の生産は急速に拡大しました。
水温が安定した無人の珊瑚環礁が数多くあり、良質な母貝が棲息するタヒチは黒蝶真珠の養殖に最も適したところといえます。
その後順調に生産を伸ばした結果、現在はタヒチが世界の黒蝶真珠の95%以上のシェアを占めるようになりました。
タヒチパールの価値が守られているのは
タヒチパールはフレンチポリネシア政府とタヒチパールの生産者団体が一体となり、生産コントロールし、その品質が保持されています。
大量生産や粗製乱造で価値を落とさないよう生産者登録制、漁業権の抑制、法律による厳格な品質規制と検査等に加え、広報活動や産業育成のための原資として、また規定外粗悪品の輸出防止のため、輸出税の徴収など、タヒチパールの価値を守るための体制が組まれています。
タヒチの黒蝶真珠養殖の成功を受けて他の地域でも生産が始まっていますが、他ではタヒチで行っているような施策が行き届いていません。
そうした所で生産された黒蝶真珠や黒色加工された真珠などとの混同を避けるためタヒチ政府によって認可されて出荷された黒蝶真珠をタヒチパールと呼んでいます。
タヒチの魅力とは
現在、黒蝶真珠のほとんどがタヒチで採取されています。
母貝となるクロチョウガイは、赤道を挟んで南北30度以内の緯度の温かい海域に棲息。島の周囲や環礁内のラグーンなど、潮の流れが緩やかで、海水がきれいな場所を好んで棲み、4~5年で平均10~20センチの大きさになります。
タヒチでは、人工的なコレクターを海に沈め、天然でふ化した違いを付着させて採取したものを養殖用の母貝に用います。
通常、ピース(外套膜の断片)を採るための貝は2年間、真珠の核入れを行う母貝は3年間養殖。
色目に特徴がある黒蝶真珠は、ピース貝の選定がとても重要です。
成長の良い二年貝の中から、貝殻真珠層の色がいわゆる「ピーコックカラー」と呼ばれる赤身のあるグリーンブラックの物を選びます。
ブラック系がもっぱらでしたが、最近のマルチカラーの流行であらゆる色が人気です。
黒蝶真珠は通常、1回に9ミリの核を挿入し、1年半から2年間養殖して、10ミリ以上になったものを採取。
その後、母貝を生かしたまま、空になった真珠袋に核のみを挿入して2回目の養殖を行い、次は11ミリ以上の大珠を作ります。
しかし、大きな核を挿入するには高い技術が必要となってきます。
近年は、9ミリ以上の大きな核を挿入する技術者が減り、8ミリなどの小さな黒真珠も見かけます。
とはいえ、黒真珠の多くは大粒で華やか。
落ち着きのあるダークカラーに、鮮やかな虹色の輝きを秘めた魅惑的な真珠です。